レイヴン・アッシュフォード
エリシア・ヴァンクール
主人公の内なる声、助言者、もう一つの視点
ガルディウス・ブレイド
第一の復讐対象、物語前半の主要敵対者
リリア・ストーンハート
レイヴンの過去との繋がり、葛藤を生む存在
夜明け前の森は、霧に包まれていた。
レイヴンは木の幹に背を預け、息を殺していた。指先が冷たい。剣の柄を握る手に、じっとりと汗が滲む。初めての実戦任務。胸の高鳴りを抑えきれない。
「緊張しているのか」
低い声が耳元で囁いた。振り向くと、ガルディウス隊長が静かに微笑んでいた。顔の古傷が、薄明かりの中で影を作っている。
「いえ、その……」
「構わん。誰でも最初はそうだ」
ガルディウスは霧の向こうを見て、どこか遠い目をした。
「……お前の親も、初陣はその顔だった」
その一言で、レイヴンの喉が小さく鳴った。胸の奥が、熱くなる。
隊長の大きな手が、レイヴンの肩を叩いた。その温もりが、不思議と緊張を和らげる。
「昔、俺はお前の親に背中を預けた。――この任務が終わったら、正式に推薦してやる」
レイヴンの心臓が跳ねた。正式な騎士。孤児院から拾われた自分が、聖騎士団の一員として認められる。その言葉が、どれほど重いか。
「必ず、期待に応えます」
「ああ、期待している」
ガルディウスは頷き、それから森の奥を指差した。
「ただし、一つだけ守ってもらいたいことがある。あの先に古い教会施設がある。あそこには絶対に入るな」
「教会施設、ですか」
「神聖な場所だ。我々のような俗人が踏み入れば、罰が当たる」
隊長の声には、いつもの温かさとは違う、何か硬いものが混じっていた。レイヴンは頷いた。
「分かりました」
「よし。では配置につけ」
霧の中に、人影が溶けていく。レイヴンは剣を抜き、指定された位置へと移動した。数メートル離れた木陰に、金色の髪が揺れるのが見えた。
「レイヴン」
小さな声。リリアだ。幼馴染の彼女は、弓を構えたまま、こちらを見ていた。
「大丈夫?」
「ああ、問題ない」
「嘘。顔、真っ青よ」
レイヴンは苦笑した。子供の頃から、リリアには何も隠せない。
「お互い様だろ」
「そうね。でも……」
リリアが何か言いかけた時、森の奥から足音が響いた。
複数。走っている。
ガルディウスの手が上がり、そして振り下ろされた。
「今だ!」
茂みから聖騎士団の戦士たちが飛び出した。賊たちの悲鳴が上がる。剣と剣がぶつかり合う音。レイヴンは駆け出していた。
目の前に、粗末な革鎧を着た男が現れた。男の剣が振り下ろされる。レイヴンは横に転がり、立ち上がりざまに斬り上げた。手応え。男が倒れる。
「レイヴン、右!」
リリアの声。矢が風を切り、レイヴンの右側に迫っていた賊の肩を射抜いた。男が呻いて膝をつく。
「助かった!」
「集中して!」
二人は背中を合わせた。孤児院で何度も練習した連携。リリアの矢が遠距離の敵を牽制し、レイヴンが接近戦を担う。息が合っている。
賊たちが次々と倒れていく。だが、数名が森の奥へと逃げ出した。
「逃げるな!」
レイヴンは反射的に追いかけようとして、叫んでいた。
逃げた方向。あれは——教会施設の方だ。
「レイヴン、待って!」
リリアが腕を掴んだ。
「隊長の命令、聞いてなかったの? あっちには行っちゃダメだって」
「でも、賊を逃がしたら……」
「他の人が追いかけるわ。私たちは——」
レイヴンは腕を振りほどいた。
隊長の期待に、結果で応えたい。ここで手柄を立てれば。逃げた賊を捕らえれば。
「すぐ戻る」
「レイヴン!」
リリアの声を背に、レイヴンは森の奥へと走った。
霧が濃くなっていく。木々の間を縫うように、石畳の道が現れた。その先に、古びた石造りの建物。壁には、聖騎士団の紋章が刻まれている。
扉が半開きになっていた。
レイヴンは剣を構え、中へと足を踏み入れた。埃の匂い。そして——何か、甘ったるい腐臭。
階段が地下へと続いている。
降りていくにつれ、腐臭が強くなる。レイヴンは口元を覆った。階段の先に、松明の明かりが揺れている。
足音が、まだ消えていない。逃げた賊は二人。段差を駆け下りる影が、踊り場の向こうで揺れた。
(捕まえろ。隊長の期待に——応えろ)
踊り場の角を曲がりかけた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。段差の“影”が不自然に濃い。
——フラッシュ。
訓練場。木剣を構えるガルディウス。古傷のある頬が硬く見えた。
「追われる側が勝つ方法は一つ。地形を味方にする」
隊長はわざと背を見せて逃げ、影へ滑り込む。追ってきたレイヴンの木剣が落ちる。
「影と死角は、刃より先に相手を止める。……だから逆手を取れ」
——フラッシュが弾ける。
レイヴンは踏み込みを止め、半身にずらした。
踊り場の死角から賊が跳び出す。狙いは腹。短剣が空を切った。
「——っ!」
レイヴンは賊の手首を叩き落とし、肘で顎を打つ。短剣が床に転がる。賊がよろけたところへ、剣の柄を鳩尾に叩き込んだ。
同時に、もう一人の影がさらに下へ逃げていくのが見えた。足音が闇へ溶ける。
レイヴンは襟首を掴んで壁に押しつけ、腰の紐で両手首を縛り上げた。結び目に迷いはない。訓練で叩き込まれた動きだ。
「くそ……! 人手が足りないとか言ってたくせに……!」
賊が唾を吐くように笑う。
「ほざけ」
レイヴンは低く吐き捨てる。
「こっちは教会騎士だぞ」
(……まだ予備だけど。これで少しは、役に立てた)
胸の奥で小さな熱が灯る。だが次の瞬間、その熱は凍りついた。
地下のさらに深いところから、裂けるような悲鳴が響いた。
「やめろ! やめてくれ——!」
賊の顔色が変わった。レイヴンの背筋にも冷たいものが走る。息が、わずかに乱れる。
(今の声……)
レイヴンは剣を握り直し、闇の奥を睨んだ。
階段の先に、松明の明かりが揺れている。
そして、見えた。
死体だ。
いや、死体の山だ。
廊下の両側に、人間の身体が積み重なっている。だが、おかしい。全員、胸に穴が開いている。まるで何かを抉り取られたように。顔は苦悶に歪み、口を開けたまま——。
レイヴンの足が震えた。
奥から、声が聞こえる。
「やめろ、やめてくれ!」
賊の声だ。レイヴンは剣を握り直し、声のする方へと進んだ。
広い部屋。中央に、金属製の台。その上に、さっき逃げた賊の一人が縛り付けられている。周囲には白衣を着た人間たち。そして——。
「コア抽出、開始」
冷たい声。
白衣の男が、何か光る器具を賊の胸に押し当てた。
賊の悲鳴が部屋中に響き渡る。
胸が光り始める。そして、何かが引き出されていく。青白く輝く、球体のような——。
「やめろ!」
レイヴンは叫んでいた。
白衣の男たちが振り向く。だが、誰も驚いた様子はない。まるで、予想していたかのように。
「コア抽出、完了。」
「聞こえるか」
白い服の男たちが球体に声をかけた、まるで聞こえたかのように球体が動いてまるで逃げようとして動いた。
「自我残存、確認、なり損ないだ、廃棄」
球体がまるでゴミのように吐き捨てられ、 賊の身体が痙攣している。目は虚ろで、口から泡を吹いている。
「何をしている…?」
レイヴンの声が震えた。
足音。
背後から、誰かが近づいてくる。
レイヴンは振り返った。
ガルディウスが立っていた。
「入るなと、言ったはずだが」
隊長の声は、いつもと変わらない。穏やかで、どこか悲しげで。
「隊長……これは、一体……」
「お前は良い騎士になれたのにな」
ガルディウスの手が動いた。
鈍い痛み。
レイヴンは自分の腹を見下ろした。剣が、深々と突き刺さっている。
「なん、で……」
「すまない。これも聖務だ」
ガルディウスが剣を引き抜く。レイヴンの身体が崩れ落ちる。視界が霞む。
「廃棄処理、頼む」
「了解しました」
誰かの声。身体が持ち上げられる。
暗闇。
落ちていく。
どこまでも、どこまでも。
冷たい。
レイヴンは薄く目を開けた。
視界が霞んでいる。何も見えない。いや、微かに光が——上の方から、遠く。
身体を動かそうとして、気づいた。
右腕が、ない。
左足も、途中から、ない。
背中に刺さった剣の傷から、血が流れ続けている。
(ああ、死ぬんだな)
不思議と、恐怖はなかった。ただ、冷たい。どこまでも冷たい。
その時——
『……何これ』
声が聞こえた。
『温かい……脈がある……』
『嘘……生きてる? 生きてる人間が?』
『本当に? 初めて?』
無数の声。女性、男性、子供、老人——全てが混ざり合っている。
何かが近づいてくる気配。
レイヴンは目を動かすことしかできなかった。
青白く光る、スライム状の何かが、視界の端に映る。
『ようこそ、アビスへ』
『私たちと同じね。教団に捕まって、コアを抜かれて』
『でも、私たちは死体だった。生きた人間が落ちてきたのは、初めて』
レイヴンは何も答えられなかった。喉が動かない。
スライムたちは、レイヴンを取り囲み、静かに語りかけてくる。
『可哀想に。手も、足も……』
『でも、まだ生きてる』
『あと、数時間かしら』
『そうね。失血死ね』
淡々とした声。
レイヴンの意識が遠のいていく。
その中に、一つだけ大きな銀色のスライムがあった。
他より遥かに大きく、強い光を放っている。
それが、ゆっくりと前に出た。
『私はエリシア・ヴァンクール』
凛とした女性の声。
銀色の光が、レイヴンの顔の前で揺れる。
『あなたに問うわ』
エリシアの声が、真っ直ぐにレイヴンの魂を覗き込む。
『上に戻りたい?』
答えようとして——喉が引きつった。声帯が空気を掴めない。 レイヴンは、残った右手の指を突き立てた。 アビスの冷たい泥を、爪が剥がれるほどに強く、深く、握りしめる。
その痛みだけが、まだ生きている証だった。
ゆっくりと、顎を引く。 一度だけの、重い肯定。
「……あ、ぁ……っ!」
喉の奥から絞り出したのは、言葉ですらない、生への渇望。
——瞬間。
空気が、変わった。
『——肉体』
『——生きた肉体があれば』
『——上に戻れる——』
周囲のスライムたちが、一斉にざわめいた。
『——待って』
『——私が』
『——いや、私を』
ざわめきが、一気に膨れ上がる。
無数の声が、一斉に叫んだ。
『——私を——』『——俺が——』『——どけ——』
希望が、狂気に変わる瞬間だった。
一つのスライムが、レイヴンに飛びかかった。
次の瞬間、全てが動いた。
数百のスライムが、一斉にレイヴンに殺到する。
『——やめて!!』
エリシアの声が響くが、誰も止まらない。
スライム同士がぶつかり合い、押し合い、互いを押しのける。
『——どけ!!』
『——邪魔するな!!』
『——裏切り者!!』
『——私たちは家族だったのに!!』
絶叫が、アビスに響く。
そして——喰らい合いが、始まった。
『——ぎゃああああ!!』
『——やめろ! 吸収するな!!』
『——すまない! でも!!』
弱いものから、順番に。
一つが二つを、二つが四つを、喰らい、融合し、巨大化していく。
レイヴンは、その全てを、ぼんやりと見ていた。
血が流れている。意識が薄れていく。
(ああ、俺の体を、奪い合ってる)
(俺のせいで、みんな——)
『——もう、終わりにしましょう』
エリシアの声が、静かに響いた。
銀色の光が、一気に拡散する。
『——エリシア!?』
『——待って!!』
『——ずるい!!』
抵抗する声は、次々と吸い込まれていく。
エリシアの力は、圧倒的だった。
戦いは、数秒で終わった。
残っていたスライムたちが、銀色の光に包まれ、吸収されていく。
『——マルロ。息子さんに、必ず』
『——セリーナ。あなたの歌声、忘れない』
最後の一人が、光の中に消えていく。
静寂。
アビスの底に、銀色のスライムだけが残った。
それが、ゆっくりとレイヴンに近づいてくる。
『ごめんなさい』
エリシアの声が、震えていた。
『こんなこと、起きて欲しくなかった』
『でも、起きてしまった』
『希望は、時に人を狂わせる』
銀色の光が、レイヴンの顔の前で揺れる。
『あなたに、全てを託したい』
『私の記憶、意志、そして——数百の魂の想い』
『拒否してもいい。でも、そうすればあなたは死ぬ』
レイヴンは、わずかに頷いた。
『……ありがとう』
エリシアの声が、涙を含んでいた。
『痛いわよ。自分が誰だか分からなくなる』
『でも——私が、あなたを支えるから』
『レイヴン。いいえ——』
銀色の光が、レイヴンを包み込んだ。
『私たち、ね』
瞬間、世界が反転した。
レイヴンの意識が内側へ引き込まれる。暗闇の中、無数の記憶が流れ込んでくる。
——息子の誕生日に、間に合わなかった——
ジャンク屋の男の記憶。大きな鞄を背負い、廃材を集めていた。作業中、突然現れた教団の者たちに攫われた。
——娘を、娘を守りたかった——
農夫の記憶。畑を耕していた。税が払えず、娘が教団に連れて行かれた。追いかけて、自分も捕まった。
——私は無実だった——
商人の記憶。冤罪で捕らえられ、地下施設に送られた。何度も訴えたが、誰も聞いてくれなかった。
——母に、最期の言葉を伝えたい——
子供の記憶。迷子になって、気づいたら白い部屋にいた。怖くて泣いた。でも誰も助けてくれなかった。
無数の記憶が、レイヴンの中に流れ込む。
痛い。苦しい。頭が裂けそうだ。
「うああああああ!」
レイヴンが叫ぶ。自分が誰なのか分からなくなる。
——そして、最後に——
『私はエリシア・ヴァンクール。王国の宮廷魔術師だった』
銀色の長髪。紫がかった瞳。美しい女性の姿。
『魔兵器製造の調査中に捕らえられた。コアを抽出されたが、強い意志で自我を保った』
『アビスで三年間生き延び、無数の成り損ないとコミュニュケーションを取り、皆んなの想いを知ってる』
『みんな互いの想いを背負い』
『あなたのような、器が現れることを』
エリシアの記憶が、レイヴンの記憶と混ざり合う。境界が曖昧になる。
どこまでが自分で、どこからが彼女なのか。
だが、その混乱の中で、一つだけ確かなことがあった。
——復讐する——
レイヴンの意志と、エリシアの意志が重なり合う。
——教団を破壊する——
——魔兵器システムを終わらせる——
二つの魂が、一つの目的で繋がった。
光が見えた。
レイヴンは目を開けた。
アビスの底。死体の山の中。
だが、右手を見る。少し細くなっている。流麗なラインを持つ、中性的な手。
髪に触れる。黒髪に、銀色の筋が入っている。
水たまりに自分の顔が映る。
深い青の右目。そして、銀色に輝く左目。
顔立ちは中性的で、エリシアの面影が混ざっている。美しさと鋭さを併せ持つ姿。
「これが…俺…?」
『私たちよ』
エリシアの声が内側から響く。
『一つの体に、二つの魂。レイヴン・アッシュフォードとエリシア・ヴァンクール』
『そして、数百の想いを背負った者』
レイヴンは立ち上がった。
傷が癒えている。エリシアの魔力が、体を修復したのだ。
聖騎士団の服は破れ、包帯が巻かれている。
レイヴンは立ち上がった。
傷が癒えている。エリシアの魔力が、体を修復したのだ。
周囲を見渡す。死体の山、スライムの残骸。
「行くぞ、エリシア」
『ええ、レイヴン』
レイヴンは壁面を蹴り、跳躍した。
融合した身体が軽く、指先に力を与える。
一段、また一段。
岩の突起を掴み、登っていく。
もう、聖騎士団のレイヴン・アッシュフォードではない。
一つの体、二つの魂。 そして、数百の想いを背負った者。
レイヴンは振り返り、アビスの底を見下ろした。
【アビスの底】
暗闇の中、無数の石が積まれている。 簡素な墓標。 名もなき者たちの、静かな眠り。
風が吹き、石の間を通り抜ける。 その風音は、死者たちの慟哭のようにも聞こえた。
彼らは叫んでいる。「殺せ」と。 だが、レイヴンの胸にあるのは、まだ熱を持ったままの「問い」だった。
「待っていろ、ガルディウス」
レイヴンは、虚空を睨みつけた。
「その口から、答えを聞かせてもらう」
裏切りの真相を暴く。 その旅路は、まだ始まったばかりだ。
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