朝の教室は、いつもと変わらない喧騒に包まれていた。窓から差し込む四月の柔らかな日差しが、黒板に反射して眩しい。
「おい、聞いたか?今日、転校生が来るらしいぞ」 「マジで?男?女?」 「さあ、噂じゃ『どっちとも言えない』らしいぜ」
教室の後ろの席で、芽金太郎はため息をついた。クラスメイトたちの騒がしい会話を聞きながら、彼は教科書を開いて予習を始めようとしていた。
「また予習か。さすが太郎くん、真面目だね」 明るい声と共に、鈴木桜が太郎の机に近づいてきた。肩まで伸びた黒髪を揺らし、クラスの人気者である彼女は、太郎の幼馴染だった。
「ああ、おはよう」太郎は少し照れくさそうに答えた。「親が厳しいからな。『一流大学に行け』って毎日うるさいんだ」
「お父さん、相変わらず厳しいんだね」桜は同情的な目で言った。「でも、転校生の噂、聞いた?なんか不思議な人らしいよ」
太郎は教科書から目を離した。「ああ、聞いたよ。でも、そんなことより...」彼は言葉を切った。本当は「大学のこと」と言いたかったが、桜に心配をかけたくなかった。
「太郎くん、また将来のこと考えてる?」桜は太郎の表情を見抜いていた。「自分がやりたいことを見つければいいんだよ」
太郎は小さく笑った。「お前は何でもポジティブだな。羨ましいよ」
その時、担任の村上先生が教室に入ってきて、クラスは一気に静まり返った。
「おはよう、みんな。今日は特別な日だ。新しい仲間を紹介するぞ」
村上先生が扉の方を向いて声をかけた。「入ってきなさい」
教室のドアがゆっくりと開き、一人の転校生が入ってきた。
銀色の髪が朝日に輝き、中性的な顔立ちは絵画のように整っている。制服は学校指定のものだが、どこか古風なアレンジが施されていた。胸元には見たこともない金属の装飾品が光り、左耳には小さな宝石のようなピアスが揺れている。
最も奇妙だったのは、その瞳だった。太郎は思わず息を呑んだ。紫色の瞳が、時折青や緑に変化しているように見えたのだ。
「私の名前は時空。よろしく」
転校生は深々と一礼した。その仕草は現代の高校生というより、はるか昔の貴族のようだった。
「時空?名字は?」村上先生が尋ねた。
「時空です」転校生は微笑んだ。「私は時空。それ以上でもそれ以下でもありません」
クラス中が困惑の表情を浮かべる中、太郎は眉をひそめた。「変な奴が来たな...」と思いながらも、どこか惹かれるものを感じていた。
「時空さんは...特別な事情があるそうだ」村上先生は言葉を選びながら説明した。「みんな、仲良くするように」
「時空さんは、芽金君の隣の空き席に座りなさい」
太郎は思わず「え?」と声を上げた。
時空は軽やかな足取りで太郎の隣の席に向かった。座る前に、不思議そうに太郎を見つめ、にっこりと笑った。
「芽金太郎殿、よろしくお願い申し上げます」
「...殿?」太郎は思わずツッコんだ。
授業が始まったが、太郎の注意は隣の転校生に釘付けだった。時空は教科書を開いたまま、窓の外を見つめている。その表情は遠い記憶を辿るかのように、どこか物悲しげだった。
突然、時空がノートに何かを書き始めた。太郎は思わず覗き込んだ。
そこには「パチンコ...記憶...鍵...」という単語と、見たこともない古代の文字のような記号が書かれていた。
「なにそれ?」思わず太郎は小声で尋ねた。
時空は我に返ったように太郎を見た。「ああ、記憶の断片です。私は思い出さねばならないのです」
「何を?」
「使命を」時空の瞳が一瞬、金色に輝いたように見えた。
太郎は思わず息を呑んだ。「使命?」彼は自分の将来について考え込んだ。「俺には使命なんてない。ただ親の言う通りに生きるだけ...」
時空は太郎の表情の変化に気づいたようだった。「芽金殿も、何か探しているのですか?」
太郎は驚いた。「なんで分かるんだ?」
「目に宿る迷いが見えます」時空は静かに言った。「私も探しているのです。自分の本当の姿を」
太郎は言葉を失った。この不思議な転校生は、彼の心の奥底を見透かしているようだった。
昼休み、太郎は桜と一緒に食堂に向かおうとしていた。
「太郎くん、転校生を誘わないの?」桜が提案した。
「あいつ?いや、変な奴だし...」太郎は言いながらも、時空の言葉が頭から離れなかった。
振り返ると、時空の姿が見当たらなかった。
「あれ?どこ行ったんだ?」
二人が教室を出ると、廊下の窓から校庭に時空の姿が見えた。銀髪の転校生は、一人で古い木の下に立ち、何かを見上げていた。
「行ってみよう」桜が太郎の手を引いた。
校庭に出ると、時空は樹齢数百年と思われる大きな楠の木を見上げていた。
「時空さん、一緒にお昼食べない?」桜が声をかけた。
時空は振り向き、まるで初めて現代人を見るかのような好奇心に満ちた目で二人を見た。
「ああ、鈴木桜殿。以前にもお会いしたことがありますね」
「え?初対面だよ?」桜は首を傾げた。
「そうでしたか...」時空は少し考え込むように言った。「時々、記憶が混ざるのです。申し訳ありません」
太郎は眉をひそめた。「お前、本当に何者なんだ?」
時空は微笑んだ。「私は時空。一万歳の転校生です」
「はあ?」太郎は思わず声を上げた。「冗談はよせよ」
「冗談ではありません」時空は真剣な表情で言った。「私は長い時を生きてきました。ただ、重要な使命を忘れてしまったのです」
桜は興味津々で聞いていた。「使命?なんの?」
「それが...」時空は頭を抱えた。「思い出せないのです。ただ、パチンコを打つと、記憶の断片が蘇るということだけは分かっています」
「パチンコ?」太郎と桜は顔を見合わせた。
「そうです。今日の放課後、『宇宙堂』というパチンコ店に行く予定です。よろしければ、ご一緒しませんか?」
太郎は呆れた表情で言った。「お前、未成年がパチンコ打てるわけないだろ」
「大丈夫です」時空はポケットから何かを取り出した。それは古びた木製の札のようなものだった。「これがあれば...」
「それ、なに?」桜が不思議そうに尋ねた。
「時の通行証です。見る人によって、必要な証明書に見えるのです」
太郎は呆れて言った。「そんなの信じられるか!」
時空は突然、真剣な表情になった。「芽金太郎殿、あなたは小学校三年生の時、学校の裏山で迷子になりましたね」
太郎は驚いて口を開けた。「なんで、それを...」
「その時、銀髪の子供があなたを助けました。覚えていませんか?」
太郎の目が大きく見開かれた。確かに、あの日、迷子になった彼を助けてくれたのは、銀髪の不思議な子供だった。でも、それが時空だとしたら...
「まさか...あの時の...」太郎の心の中で、長い間忘れていた記憶が蘇った。あの日、彼は親の期待に応えられず逃げ出したのだ。そして迷子になった彼を見つけ、「自分の道は自分で決めるものだよ」と言ってくれたのが、この時空だったのか。
時空は微笑んだ。「私は時々、必要な場所に現れるのです。それも使命の一部かもしれません」
桜は興奮した様子で言った。「私も行く!パチンコ店!」
「おい、桜!」太郎は慌てた。「そんな怪しい話、信じるのか?」
「だって、面白そうじゃない?」桜の目は輝いていた。「それに、時空さんの話、なんだか信じられるんだ。太郎くんも、何か感じてるでしょ?」
太郎は内心を見透かされたように感じた。確かに彼は、時空に対して不思議な親近感を抱いていた。まるで長い間忘れていた何かを思い出すような感覚。
「わかったよ...俺も行く」太郎は決意した。「もしかしたら、俺が探してるものも見つかるかもしれない」
時空は嬉しそうに笑った。その笑顔は、まるで千年の時を超えて輝くように美しかった。
「ありがとうございます、芽金殿、鈴木殿」
放課後、三人は学校から少し離れた商店街にある「宇宙堂」というパチンコ店の前に立っていた。
「本当に入るのか...」太郎は不安そうに店を見上げた。「親に知られたら殺される」
「大丈夫です」時空は自信たっぷりに言った。「私は何度もここに来ています」
店内に入ると、カラフルな光と騒がしい音が三人を迎えた。パチンコ台の前には様々な年齢の人々が座り、熱中している。
「おや、時空くん。今日は友達と一緒かい?」
カウンターから、白髪の老人が声をかけてきた。店主らしい。
「五条殿、こんにちは」時空は丁寧に挨拶した。「今日は友人を連れてきました」
五条と呼ばれた老人は、太郎と桜を見て微笑んだ。「初めまして、五条玄だ。時空くんの友達なら大歓迎さ」
太郎は困惑しながらも挨拶した。「あの、未成年なんですが...」
「心配ないよ」五条は穏やかに言った。「ここは特別な場所だ。時空くんの友達なら問題ない」
太郎は納得できない様子だったが、桜は興味津々で店内を見回していた。
「時空さん、どの台で打つの?」
時空は店の奥にある一台のパチンコ機を指さした。それは他の派手な台と違い、シンプルなデザインだった。
「あれです。『永遠の輪廻』という台です」
三人がその台に近づくと、時空は急に真剣な表情になった。
「私が打っている間、二人は見ていてください。何か...特別なことが起きるかもしれません」
時空がパチンコ台の前に座り、玉を投入すると、その姿が一変した。これまでの天然な雰囲気が消え、鋭い眼差しと集中力に満ちた別人のようになった。
太郎と桜は息を呑んで見守った。
時空の手さばきは神業のようだった。玉の一つ一つが意思を持つかのように、時空の意図通りに動いていく。
「すごい...」桜はつぶやいた。
太郎は時空の姿に見入っていた。「こんな集中力、俺には...」彼は自分の勉強を思い出した。親の期待に応えるための勉強。でも時空は違う。自分の使命のために全身全霊で取り組んでいる。
「時空は...自分の道を進んでるんだ」太郎はつぶやいた。
突然、パチンコ台から特別な音楽が流れ始め、画面が七色に輝いた。
「来た...」時空の声は震えていた。
画面には七つの鍵のシンボルが現れ、一つずつ光り始めた。
その瞬間、時空の瞳が金色に変わり、体が微かに発光し始めた。
「時空!」太郎は驚いて声を上げた。
時空は恍惚とした表情で言った。「見えます...記憶が...」
突然、パチンコ台の画面が真っ白になり、まばゆい光が店内を包んだ。
一瞬の後、全てが元に戻った。時空は疲れたように椅子に座り込んでいた。
「大丈夫か?」太郎は心配そうに時空の肩に手を置いた。
時空はゆっくりと顔を上げた。その瞳は通常の紫色に戻っていたが、何か新しい決意が宿っているようだった。
「思い出しました...一部ですが」時空は静かに言った。「私は『七つの鍵』を集めなければならないのです」
「七つの鍵?」桜は不思議そうに尋ねた。
「はい。それが私の使命です。七つの鍵を集め、何かを...守るために」
五条が近づいてきて、時空の肩に手を置いた。「時が来たようだな、時空くん」
太郎は混乱していた。「何が起きてるんだ?誰か説明してくれよ」
五条は真剣な表情で言った。「時空くんは特別な存在だ。彼は遥か昔から、重要な使命を持って生きてきた」
「でも、なぜパチンコなんですか?」桜が尋ねた。
時空は微笑んだ。「パチンコは現代の占いのようなものです。玉の動きは宇宙の摂理を表し、その中に真実が隠されているのです」
太郎は頭を抱えた。「もう、わけがわからないよ...」
「太郎くん」桜が静かに言った。「でも、なんだか時空さんを信じたくなるよね。あなたも感じてるでしょ?」
太郎は黙って頷いた。確かに、時空の話は荒唐無稽だったが、どこか心に響くものがあった。それは小学生の頃、迷子になった彼を助けてくれた銀髪の子供への懐かしさだけではなかった。
「俺は...」太郎は言葉を探した。「自分の道を見つけたいんだ。親の言う通りじゃなくて、自分が本当にやりたいことを」
時空は太郎の目をじっと見つめた。「それも一つの使命ですね、芽金殿」
時空は立ち上がり、太郎と桜の前に立った。
「二人とも、私の話を信じてくれてありがとう。これからも友達でいてくれますか?」
その問いかけには、一万年の孤独が滲んでいた。
桜は迷わず答えた。「もちろん!私、時空さんのこと、すごく気になるもん。それに、あなたの話を聞いていると、何か大切なことを思い出すような気がするの」
太郎は少し考えた後、決意を固めたように言った。「俺も...お前の力になりたい。それが俺自身の道を見つけることにつながるかもしれない。それに...」彼は照れくさそうに言葉を切った。「お前のような生き方、少し憧れるよ」
時空の顔に、安堵と喜びの笑みが広がった。その笑顔は、まるで太陽のように明るく、純粋だった。
「ありがとう...本当に」時空の声は感情で震えていた。「長い時を生きてきましたが、こんな風に受け入れてくれる友人は...とても貴重です」
帰り道、夕陽に照らされた三人の影が長く伸びていた。
「明日からも、よろしくお願いします、芽金殿、鈴木殿」
時空の言葉に、太郎は思わず笑った。
「いちいち『殿』付けするのやめろよ。普通に『太郎』でいいから」
「わかりました、太郎...くん」時空は少し照れたように言った。
桜は楽しそうに二人を見ていた。「これからどんな冒険が始まるんだろう?楽しみ!」
太郎は空を見上げた。「親には内緒だけどな」彼は小さく笑った。「でも、これが俺の選んだ道なら...」
時空は空を見上げた。夕焼け空に、一筋の流れ星が走った。
「七つの鍵を見つけ、私の使命を果たす...そして、本当の自分を取り戻す」
時空の瞳が一瞬、七色に輝いた。
「それが、永遠の転校生である私の物語の始まりです。そして、太郎くんと桜さんの物語でもあるのです」
太郎は時空の言葉に、胸の内で何かが温かく広がるのを感じた。親の期待、将来への不安、それらを超えて、自分だけの道を見つける冒険が始まろうとしていた。
(第一話 終)
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