さゆき
あゆむ
ヒロイン(男)
かのん
さゆきの親友・恋愛のキーパーソン
たいよう
グループのツッコミ役・あゆむの親友
入学して三週間も経てば、教室の空気はだいたい固まる。
誰と誰が仲いいとか、あの子は一人が好きとか、そういう見えない地図みたいなものができあがって、みんなそれに従って動き始める。
さゆきはそれを、窓際の席からぼんやりと眺めていた。
鞄のファスナーに指をかけながら、親指でアクリルキーホルダーを撫でる。制服のスカートはちゃんと膝丈に合わせているし、髪もいつも通りポニーテールにまとめてある。傍から見れば何も問題ないように見えるだろう。たぶん。
私ってやっぱり陰キャだな。
理由は単純だ。昨日の深夜、推しのVTuber──魔法少女系の衣装がかわいくてトークも面白い、配信歴三年目のすずらんちゃん──が深夜二時に突然ゲーム配信を始めて、三時間ぶっ続けで見てしまった。今日の授業の記憶が壊滅的なのはそのせいだし、昼休みに一人でいつもの空き教室に逃げ込んで推しのアーカイブをイヤホンで聞いていたのもそのせいだ。
陰キャというのはそういうことだ、とさゆきは思っている。みんながわいわいしているときに、自分だけ少し別の場所にいる感じ。
「さゆき、ちょっといい?」
振り返ったら、くるっとしたショートカットの女の子が立っていた。
向かいの席の子で、名前は──かのん、だったはずだ。入学してから何度か話したことがある。話しかけやすい雰囲気があった。
「あ、うん。何?」
「昨日のすずらんちゃんの配信見た?」
さゆきの喉が、ピタリと止まった。
「……え」
「見たよね? 絶対見てるでしょ、その顔」
かのんが笑いながら椅子を引いて、さゆきの横に腰を下ろした。「私も見てたんだけど、途中でまじで眠くて。ラストのボスまで行けた?」
「行った」
気づいたら答えていた。
「行ったってかね、すずらんちゃん、あのゲームの最終ボス、音ゲーパートじゃないですか。ずっとリズムゲー苦手って言ってて、コントローラー投げそうになりながら練習してたやつ──それを昨日、ついにクリアして」
「した! してたね!」
「泣いてたじゃないですか普通に。すずらんちゃんが泣くの割とレアなんだけど、でも嬉し泣きがどばっとで、画面が滲んで見えなくなって、私も普通に泣いてて、でもそのままエンドロールのBGMが流れて──」
しゃべり過ぎていることに気づいたのは、かのんが「ふふ」と笑い声を漏らしたタイミングだった。
「ごめん、やばいね私。なんか急に」
「いや全然。私も語りたかったから。周りで見てる子いなくて」
さゆきはまばたきを一回した。
「……かのんちゃん、すずらんちゃん追ってるの?」
「一ヶ月くらい前から。周年のMVがたまたま流れてきて、そっからずっと見てる」
「新規歓迎です(真顔)」
「今の顔おもしろ」
二人でちょっと笑った。
それからなんとなく、昨日の配信の話を続けた。すずらんちゃんのボス攻略の何度目かのリトライで、チャット欄が「すずちゃんがんばえー」の応援でびっしり埋まったこと。クリア直後の沈黙が五秒くらい続いて、それから「……でっきたーっ!」って声が出てきたこと。さゆきは興奮してきたのか自然と声が早くなって、かのんはそれを真剣な顔で聞いていた。
「ねえ、それって他の人にも話した?」
「ううん」
答えてから、自分でも少し驚いた。話していなかった、というより、話す相手がいなかった。クラスでVTuberの話ができる子は多くなってきたけど、すずらんちゃんを追いかけている子を、さゆきはまだ見つけていなかった。
「陰キャって自分で言ってる割に、結構話せるんだね」
かのんが首を傾けた。
「え? 違くて、私がそういう話しちゃうのは場を読めてないだけで──」
「いや普通に話せてると思うけど」
どう返せばいいかわからなくて、さゆきはとりあえず鞄のキーホルダーを握った。推しの絵柄が手のひらに当たる。
「まあいいや。一個聞いていい?」
「何?」
「放課後、ちょっと紹介したい子がいるんだけど」
「紹介したい子」というのは二人いた。
放課後、昇降口の前でかのんに連れてこられたのは、背の高い男の子とぼさっとした髪の男の子だった。
「こっちがあゆむ、こっちがたいよう。二人とも隣のクラス」
「おう」と言ったのがたいようで、会釈したのがあゆむだった。
「さゆきです、よろしくです」
「かのんからVTuberオタクの友達できたって聞いてた」とあゆむが言った。声が穏やかだった。「すずらんちゃん見てるって」
「見てます。一年くらい」
「俺、最近見始めたんだけど。どこから入ればいいかわかんなくて」
たいようが「こいつVTuberまじでわかんないくせに見ようとしてる」と横から言った。
「入り口はとりあえずどの子から入るかによって全然違くて──」とさゆきが口を開きかけたところで、たいようが「あ、始まった」と呟いた。
「何が」
「VTuberの話になると口調変わる、って話かのんがしてた」
「え、してたの?」
かのんが口笛を吹いた。さゆきは口笛の吹き方を知らないのでとりあえず睨んだ。
あゆむが笑っていた。別に馬鹿にした感じじゃなくて、なんか純粋に楽しそうな顔だった。
「俺、ちゃんと聞きたいんだけど。歩きながらでもいい?」
「……え、いいけど」
「うわ、始まるじゃん」とたいようが言って、かのんが「黙れ」と返した。
四人で並んで歩き始めた。
さゆきは最初、話す気になれなかった。
陰キャが他人のオタク話をべらべらしゃべるのは自覚がない感じがして好きじゃない、とうっすら思っているところがある。それに、あゆむという人のことをまだよく知らない。さっき会ったばかりだ。どういう人か、わからない。
「すずらんちゃんって、ゲーム配信が多い感じ?」
あゆむが聞いた。
「多いです。あとお喋り配信も。トークが面白くて」
「どういうときが面白い?」
「うーん、なんか……リスナーさんとのやり取りが自然なんですよ。コメント読むのが上手で、変なコメントしても普通に受け止めてくれる感じがあって。それでなんか応援したくなる」
「へえ」
へえ、という相槌が、棒読みじゃなかった。ちゃんと聞いている感じがした。
「昨日の配信も見てたんだよね」
「見てた。というかかのんさんから昨日の話を午前中に聞いて、それも聞きたくて」
さゆきはちょっと止まった。
「私の話をかのんから聞いて?」
「うん。クリアしたって、泣いてたって」
「……そこまで話したの」とさゆきはかのんを見た。
「話してないよ。さゆきが勝手に話してたから盗み聞きしてた」
たいようが「陰キャ陰キャ言ってる割に結構でかい声でしゃべってない?」と言った。「うるさい」とさゆきは返した。
あゆむがまた笑っていた。さっきよりもちょっとリラックスした感じの笑い方だった。
気づいたらさゆきはまた話していた。
昨日のクリアシーンの前後、ボスのギミックのこと、チャット欄の空気のこと、クリアしたとき自分がどんな顔をしていたか全部見せてくれるのがVTuberのいいところだということ。あゆむはそれをちゃんと聞いていた。
「前に言ってた、トークが自然、って──それって、作ってない感じがするってこと?」
唐突にあゆむが言って、さゆきは少し驚いた。
「そう、そういう感じです。台本がある感じがしないというか。感情が画面越しでも伝わってくる感じ」
「なるほど」
「なんでそこ聞いたんですか」
「さゆきさんが言った『応援したくなる』ってところが気になって。なんで応援したくなるのかなって」
さゆきはしばらく考えた。
「……その人がちゃんとそこにいるからじゃないですか。作り物じゃなくて、本人が全力でそこにいる感じがするから。それって応援したくなりますよ」
あゆむは「うん」と言った。
短い相槌だったけど、なんか、ちゃんと届いた感じがした。
「あーあ、俺関係なくなってる」とたいようが言った。
「最初から関係ないでしょ」とかのんが返した。
「うわ」
「すずらんちゃんのどこから入ればいいか、今度ちゃんと教えてあげるよ」とかのんがたいように言って、たいようは「べつにそんな興味ない」と言ったが顔は少し嬉しそうだった。
四人でひとしきり何か喋りながら、気づいたら駅の近くまで歩いていた。
解散のタイミングで、あゆむが「また話聞かせてください」と言った。
さゆきは「え、いいんですか」と反射的に返した。
「なんで僕が嫌がると思ったんですか」
「いや……陰キャがオタク話をベラベラしゃべるのって、自覚ないやつじゃないですか」
「陰キャなんですか」
「そうです」
あゆむはちょっとの間さゆきを見ていた。何か考えているような顔だったけど、何を考えているかはわからなかった。
「自分でそう思ってるってだけじゃないですか」
と言って、たいように「行くぞ」と呼ばれて、じゃあまたと会釈して行ってしまった。
残されたさゆきの隣で、かのんが「ふふ」と声を漏らした。
「なに」
「べつに」
「なに?」
「なんもない。また明日ね」
かのんが手を振って歩いていく。さゆきはその背中を見送りながら、鞄のキーホルダーを無意識に握っていた。
自分でそう思ってるってだけじゃないですか。
さゆきはそれを三回くらい頭の中で繰り返した。
別に深い意味がある言葉じゃないのかもしれない。ただの返しかもしれない。でもなんかちょっと、うまく消化できない感じで残っていた。
帰り道、推しの配信のアーカイブをイヤホンで聞きながら歩いた。
いつもの帰り道と同じルートで、同じ時間で、でも今日は少し、景色の輪郭が違うような気がした。気がした、だけかもしれない。
でも──もしかしたら、VTuberの話を全部聞いてくれる人が、いるかもしれない。
そう思ったとき、推しが画面の中で「ありがとね」と言って、さゆきはそれがすごくタイミング良すぎてちょっと笑った。
ポニーテールが夕風に揺れた。
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