「すみません、失礼しました」
佐藤剛(45歳)は、冷ややかな目で女性を一瞥すると、そのまま歩き続けた。肩をぶつけられた若い女性が不快そうな顔をしているのが見えたが、内心では嘲笑していた。
(どけよ。道の真ん中でスマホなんか見てんじゃねえよ。お前らみたいな若造が、俺たちの築いた社会をダメにしてるんだ)
朝の通勤ラッシュ。東京の駅構内は人で溢れかえっていた。佐藤は意図的に肩を張り、周囲の人々にぶつかりながら進む。これが彼の30年来の日課だった。
「おい、気をつけろよ!」
スーツ姿の若い男性が声を荒げる。佐藤は冷たい視線を投げかけた。
「すみません、失礼しました」
口では謝りの言葉を述べるが、その目は冷酷で、声音には反省の色が一切ない。むしろ挑発的ですらあった。
(若いくせに、なんだその態度は。俺が社会を支えてきたんだぞ。お前らなんか、俺がぶつかってやる価値もないくらいの存在だ)
佐藤剛、通称「ぶつかりおじさん」。会社の同僚たちからも距離を置かれ、家族もいない孤独な中年男性だった。彼の人生で唯一の楽しみは、通勤途中で見知らぬ人々にぶつかり、その反応を見ることだけだった。
その日の帰り道、佐藤はいつものように人混みの中を歩いていた。スマホを見ながら歩く若者たちを見て、心の中で毒づく。
(今どきの若者は本当にダメだな。俺たちの時代は、こんなんじゃなかった。礼儀も知らないし、周りも見えてない。全員ぶつかられて当然だ)
そして、いつものように意図的に若者にぶつかろうとした瞬間—
「あっ!」
佐藤の視界に飛び込んできたのは、制御を失ったトラックだった。避ける間もなく、彼の体はトラックに激しくぶつかり、宙を舞った。
(こんな形で、俺が…ぶつかられる側になるなんて…なんて皮肉な…)
意識が遠のく中、佐藤は自分の人生に対する不満と後悔が脳裏をよぎった。
(もっと強く…もっと思い切りぶつかっていれば…)
「…おい、起きろ」
誰かの声が聞こえる。
「おい、大丈夫か?」
佐藤はゆっくりと目を開けた。目の前には、鎧を身につけた若い男性が立っていた。
「どこだ…ここは…」
佐藤は混乱しながら周囲を見回した。そこは東京の雑踏ではなく、中世ヨーロッパを思わせる石畳の道だった。
「お前、道の真ん中で倒れていたぞ。どこから来た?」
鎧の男は不審そうに佐藤を見つめている。
「俺は…東京から…」
言いかけて、佐藤は自分の体に違和感を覚えた。手を見ると、若々しく、筋肉質になっている。そして肩には、骨のような突起物が生えていた。
「な、なんだこれは!?」
佐藤は混乱し、立ち上がろうとして転んだ。その拍子に、近くにいた男性にぶつかった。
「どけよ」
反射的に口にした言葉。前世では小声でつぶやくだけだった本音が、今は自然と口から出てきた。ぶつかられた男性は数メートル吹き飛び、壁に激突した。
「な…何をする!」鎧の男が剣を抜いた。
「別に大したことじゃない。あいつが道をふさいでいただけだ」
佐藤は思わず本音を口にした。自分でも驚いたが、なぜか気分が良かった。
「お前、ただ者じゃないな。スキルカードを見せろ」
「スキル…カード?」
佐藤が困惑していると、胸ポケットに何かがあることに気づいた。取り出してみると、それは小さな結晶のようなカードだった。
鎧の男はそれを見て目を見開いた。
「これは…『ぶつかりLv.10』!? しかも初期レベルでこんな高いなんて…お前、一体何者だ?」
佐藤は混乱したまま、カードを見つめた。そこには確かに「ぶつかりLv.10」と書かれており、その下には「衝撃波」「無敵突進」「反動無効」などのスキルが列挙されていた。
(これは…俺のぶつかりが…スキルになってるのか?最高じゃないか)
内心で喜びながら、佐藤は優越感に浸った。前世では迷惑行為と蔑まれていた彼の「特技」が、この世界では強力な力として認められているのだ。
「おい、名前は何だ?」鎧の男が尋ねた。
佐藤は一瞬考え、答えた。
「アッシュ…アッシュ・ストライカーだ」
なぜかその名前が自然と口から出てきた。
「俺はガルム。冒険者ギルドの者だ」鎧の男—ガルムは剣を鞘に収めた。「そのスキルなら、うちのギルドで働かないか?最近、魔物の出現が増えていてな、戦力が必要なんだ」
佐藤—いや、今やアッシュとなった男は、状況を理解しようと努めた。どうやら彼は異世界に転生し、前世での「ぶつかり」の技術が、この世界では強力なスキルとして認められているらしい。
「ギルド?魔物?」
「ああ、ここはアルカディア王国の辺境都市、ブレイクウォール。魔物退治や護衛の依頼を受ける冒険者ギルドがある。お前のようなスキル持ちなら、すぐに一人前の冒険者になれるだろう」
アッシュは考えた。この状況を理解するには、まずこの世界のことを知る必要がある。そして、生きていくためには仕事が必要だ。
「わかった、案内してくれ。この力を試してみたいしな」
ガルムに導かれ、アッシュは石畳の道を歩き始めた。道中、彼は自分の体の変化に驚いていた。45歳のおじさんだった体は、今や30代前半の筋肉質な体になっていた。肩の突起物は、まるで攻撃用の武器のようだった。
(これが…転生か。俺の人生、やり直せるのか。今度は誰にも文句を言わせない。この力で、俺が上に立ってやる)
街並みは中世ヨーロッパを思わせる石造りの建物が立ち並び、人々は剣や杖を携え、中には獣人や耳の尖ったエルフらしき種族も見かけた。アッシュは歩きながら、意図的に通行人の肩にぶつかっていく。
「おい、アッシュ。何をしている?」ガルムが眉をひそめた。
「ああ、スキルの確認だ。問題あるか?」
アッシュは挑戦的な目でガルムを見た。ガルムは少し困惑した表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった。
「ここがギルドだ」
ガルムが指さした先には、大きな木造の建物があった。入口には剣と盾の紋章が掲げられている。
中に入ると、大勢の冒険者たちが食事をしたり、依頼を受けたりしていた。カウンターには若い女性が立っていた。
「おう、リリア。新人を連れてきたぞ」
ガルムに呼ばれた女性—リリアは、アッシュを見て微笑んだ。銀色の長い髪と、青い瞳が印象的な美しい女性だった。
「初めまして、冒険者ギルド受付のリリアです。あなたのスキルカードを拝見してもよろしいですか?」
アッシュは黙ってカードを差し出した。
リリアはカードを見て、目を丸くした。
「『ぶつかりLv.10』…!? 初期レベルでこんな高いスキルは見たことがありません!」
周囲の冒険者たちも興味津々でアッシュを見つめ始めた。アッシュは、自分が注目の的になっていることに満足感を覚えた。
(ふん、前世では誰も俺を認めなかったが、ここでは違うようだな)
「登録手続きをしましょう。お名前は?」
「アッシュ・ストライカーだ」
リリアは書類に記入し、新しいカードを作成した。
「これがあなたの冒険者カードです。ランクはまだFですが、実力次第ですぐに上がるでしょう」
アッシュはカードを受け取った。そこには彼の名前と、「ぶつかりの使い手」という肩書きが記されていた。
「Fランク?俺がか?」アッシュは不満そうに言った。「このスキルを持っている俺が最低ランクなのか?」
リリアは困惑した表情を見せた。「あの、ランクは実績に応じて上がっていくものなので…」
「早速だが、仕事はあるか?俺の力を見せてやる」アッシュは言葉を遮って尋ねた。
リリアは少し考え、「ちょうどいい依頼がありますよ」と言って、一枚の紙を取り出した。「街の近くで暴れている小型の魔物、ゴブリンの討伐です。初心者向けの依頼ですが、あなたのスキルなら問題ないでしょう」
「ゴブリン?小物か。もっと強いのはないのか?」
「アッシュ」ガルムが諭すように言った。「まずは経験を積むことだ。この世界のことをまだ何も知らないだろう」
アッシュは不満そうに舌打ちしたが、同意した。「わかったよ。俺も同行しろよ、ガルム。この世界のことをもっと教えてもらわないとな」
「ああ、もちろんだ」
「では、準備ができたら出発しましょう」
リリアの言葉に、アッシュは新たな冒険への第一歩を踏み出した。
街の外れの森。アッシュとガルムは、ゴブリンの群れを追っていた。
「ゴブリンは単体では弱いが、群れで行動する。注意しろ」ガルムが忠告した。
「へっ、どうせ雑魚だろ」
アッシュは自分のスキルについて考えていた。前世では迷惑行為でしかなかった「ぶつかり」が、この世界では武器になる。試しに、近くの木に向かって突進してみた。
「うおおっ!」
彼の体が光を帯び、木に激突する。木は根元から折れ、倒れた。
「すげえ…これが俺の力か」アッシュは自分の力に酔いしれた。
「おい、静かにしろ!」ガルムが警告したが、時すでに遅し。
「グオオオ!」
木々の間から、10体ほどのゴブリンが姿を現した。緑色の肌に、鋭い牙、手には粗末な武器を持っている。
「来たな!アッシュ、実力を見せてやれ!」
ガルムが剣を構える。アッシュも身構えた。
「ふん、こんな雑魚、一瞬で片付けてやる」
最初のゴブリンが棍棒を振りかざして襲いかかってきた。アッシュは反射的に体を前に傾け、肩の突起物を前に出して突進した。
「どけよ、邪魔だ!」
彼の体からは青白い光が放たれ、ゴブリンに激突した。ゴブリンは悲鳴を上げ、数メートル吹き飛ばされて動かなくなった。
「これが…俺の力か!最高だ!」
アッシュは興奮した。今まで人生で感じたことのない高揚感だった。彼は次々とゴブリンに体当たりしていく。肩の突起物が敵を貫き、衝撃波が周囲のゴブリンをも吹き飛ばした。
「すげえぞ、アッシュ!」ガルムも剣で敵を倒しながら叫んだ。
「当然だ!俺は最強なんだからな!」アッシュは傲慢に笑った。
しかし、森の奥からさらに大きな影が現れた。それは通常のゴブリンの倍以上の大きさを持つ、ゴブリンリーダーだった。
「あれがボスか…ふん、大きいだけのクズだろ」
アッシュは息を整えた。ゴブリンリーダーは大きな斧を持ち、怒りの咆哮を上げた。
「気をつけろ!あいつは強いぞ!」ガルムが警告する。
「黙ってろ!俺が倒す!」
ゴブリンリーダーが猛スピードで襲いかかってきた。アッシュは避けようとしたが、間に合わず、斧が彼の腕を掠めた。
「くっ!この野郎…!」
痛みを感じたが、傷は浅い。アッシュは体勢を立て直し、スキルカードを見た。そこには「無敵突進」というスキルがある。
(これを使ってやる…このクソデカいゴブリンを吹き飛ばしてやる!)
アッシュは深く息を吸い、全身に力を込めた。
「無敵突進!どけよ、邪魔だ!」
彼の体が金色の光に包まれ、まるで弾丸のようにゴブリンリーダーに向かって飛んだ。肩の突起物がリーダーの胸を貫き、強烈な衝撃波が周囲に広がった。
ゴブリンリーダーは絶叫し、倒れた。
「ふん…こんなもんか」
アッシュは息を切らしながら立ち上がった。初めての戦闘で、彼は自分の力を実感していた。
「すげえな、アッシュ!」ガルムが駆け寄ってきた。「あんな大型のゴブリンリーダーを一撃で…お前のスキルは本物だ!」
「当たり前だろ。俺は特別なんだ」アッシュは胸を張った。「前世では誰も俺を認めなかったが、この世界では違う。俺は最強になる」
ガルムは少し困惑した表情を見せたが、「前世?」と小声でつぶやいただけで、それ以上は追及しなかった。
「とにかく、初めての討伐任務、見事だったぞ」
アッシュは自分の手を見つめた。前世では迷惑をかけるだけだった「ぶつかり」が、この世界では人々を圧倒する力になる。
「ガルム、この世界のことをもっと教えてくれ。俺は…もっと強くなりたい。誰にも文句を言わせない、最強の存在になってやる」
ガルムは複雑な表情で頷いた。「ああ、お前なら間違いなく一流の冒険者になれる。帰ったらギルドで祝杯を上げよう!」
二人は倒したゴブリンの証拠として耳を集め、街へと戻った。
冒険者ギルドでは、アッシュの初勝利を祝う宴が開かれていた。
「乾杯!新人冒険者アッシュの成功を祝して!」
ガルムが大きな声で叫び、周囲の冒険者たちもグラスを掲げた。
アッシュは生まれて初めて、人々に祝福される喜びを感じていた。前世では孤独だった彼が、この世界では注目の的になっている。
「へへ、当然の結果だ」アッシュは得意げに言った。「俺のぶつかりスキルは最強だからな」
周囲の冒険者たちは、彼の傲慢さに少し引いた様子だったが、その実力は認めざるを得なかった。
「アッシュさん、これがあなたの報酬です」
リリアが小さな袋を差し出した。中には金貨が入っている。
「これで当面の宿代と食事代は確保できますね」
アッシュは袋を受け取り、中身を確認した。「これだけか?俺の力はもっと価値があるだろう」
リリアは困惑した表情を見せた。「あの、これはFランクの標準報酬で…」
「ふん、まあいい。次はもっと難しい依頼をよこせ」
アッシュが言い終わるか終わらないかのうちに、ギルドの扉が開き、一人の女性が入ってきた。長い緑の髪と尖った耳を持つエルフだった。
「リリア、急ぎの依頼よ」
エルフの女性は受付に駆け寄った。
「ミーナ!どうしたの?」リリアが尋ねる。
「北の森で大型の魔物が出現したわ。村が危険よ!」
ミーナと呼ばれたエルフの言葉に、ギルド内が騒然となった。
「今すぐ対応しないと!」ガルムが立ち上がる。
アッシュも立ち上がった。彼は自分の力を誇示する絶好の機会だと感じた。
「俺も行く。その大型魔物とやらを、俺のぶつかりで吹き飛ばしてやる」
ガルムは驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「おう、頼もしいぜ!」
リリアも微笑んだ。「アッシュさん、気をつけてくださいね」
「心配するな。俺が行けば、問題なく解決する」アッシュは自信満々に言った。
アッシュはガルムとミーナと共に、新たな危機に立ち向かうため、ギルドを後にした。
(俺の人生、ここから始まるんだな。この世界では、俺が最強だ。誰も俺を止められない。ぶつかって、ぶつかって、全てを押しのけてやる)
かつての「ぶつかりおじさん」は、今や異世界の英雄への第一歩を踏み出していた。彼の「ぶつかり」は、もはや迷惑行為ではなく、彼を頂点へと導く力となっていた。
つづく
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