教室の窓から差し込む午後の陽光が、佐藤陽太の机に落ちていた。彼は何気なく指先を動かし、微かな風を起こして消しゴムのカスを吹き飛ばした。誰も見ていないことを確認してから行った小さな魔法使い。
「おい、陽太!放課後どうする?」
突然肩を叩かれ、陽太は思わず背筋を伸ばした。振り向くと、親友の中村大輔が満面の笑みを浮かべていた。
「あ、ごめん。今日は…」陽太は言葉を選びながら答えた。「ちょっと用事があるんだ」
「また?最近よく『用事』があるよな」大輔は首を傾げた。「塾?それとも家のこと?」
「うん、まあ…そんな感じ」
嘘をつくたびに胸が締め付けられる。幼稚園からの親友に秘密を持つことが、陽太には何よりも辛かった。
「わかった。じゃあまた明日な!」大輔は気にした様子もなく、野球部の仲間たちの元へ駆けていった。
陽太はため息をついた。「用事」とは、放課後に通っている「魔法適正者育成プログラム」のことだ。一般人には知られていない、魔法の才能を持つ者だけが参加できる特別な訓練だった。
「佐藤くん、集中して!」
訓練場で、山田結衣の声が響いた。彼女は両手から炎を操り、的を次々と撃ち抜いていく。火属性魔法の使い手として、その才能は群を抜いていた。
「は、はい!」
陽太は慌てて手のひらを前に向け、風の流れを感じ取る。彼の前に置かれた羽根を浮かせ、指定されたコースに沿って動かす訓練だ。しかし、彼の風は弱々しく、羽根はすぐに落ちてしまう。
「もう…陽太くんってば、いつも自信なさそうにしてるから、魔法も弱くなっちゃうんだよ」結衣が訓練を終え、陽太の隣に立った。「もっと自分を信じなきゃ」
「でも俺、中学1年になるまで魔法の才能に気づかなかったし…みんなより遅れてるんだ」
「才能が開花する時期なんて人それぞれじゃない」結衣は明るく笑った。「それに、陽太くんの風魔法って、すごく繊細でコントロールが効くよね。私なんて、いつも暴走しちゃうし」
その言葉に少し救われる思いがしたが、訓練場の隅から冷たい視線を感じた。鈴木翔だ。高校3年生で、雷属性魔法の使い手。彼は完璧な精度で雷を操り、訓練の成績はいつもトップだった。
「佐藤、お前の風は弱すぎる」翔が近づいてきて言い放った。「もっと意志を込めろ。魔法は使い手の心を映す鏡だ」
「は、はい…」陽太は萎縮してしまう。
「翔先輩、そんな言い方しなくても…」結衣が反論しようとした時、
「あの、佐藤先輩」
柔らかい声が聞こえた。振り返ると、高校1年生の佐々木美咲が控えめに立っていた。
「私、先輩の風魔法、素敵だと思います」美咲は微笑んだ。「派手じゃなくても、繊細で…まるで人の心に寄り添うみたいで」
「ありがとう、佐々木さん」陽太は照れながらも感謝した。
美咲は癒しの魔法を持つ後輩で、人の感情を敏感に感じ取る能力があった。彼女の言葉は、いつも陽太の心に染み入った。
「よし、次は実践訓練だ」訓練官の声が響く。「山田と佐藤、ペアを組んで」
結衣は嬉しそうに陽太の腕を引っ張った。「よーし、頑張ろう!私の火と陽太くんの風、相性バッチリだよ!」
陽太は不安を感じながらも、結衣の明るさに少し勇気をもらった。
実践訓練は、魔法を使った模擬戦だ。結衣と陽太のペアは、翔と別の生徒のペアと対戦することになった。
「私が攻めるから、陽太くんはサポートね!」結衣は自信満々に言った。
試合が始まると、結衣は迷うことなく炎の弾を放った。しかし、その炎は予想以上に大きく膨れ上がり、制御不能になりかけた。
「やばっ!」結衣が叫ぶ。
陽太は咄嗟に風の壁を作り、暴走しかけた炎を包み込んだ。風が炎を包み込み、徐々に小さくしていく。
「さすが佐藤」翔が小さく呟いた。「繊細なコントロールだ」
しかし、その瞬間、訓練場の扉が開いた。
「おい、陽太!忘れ物を…」
声の主は中村大輔だった。彼は目を丸くして、空中に浮かぶ炎と風の渦を見つめていた。
「大輔!?」陽太は驚愕のあまり、風の制御を失った。
結衣の炎が再び膨らみ、大輔の方向へ向かって暴走する。
「危ない!」
陽太は反射的に手を伸ばし、全力で風を操った。風は大輔の周りを包み込み、彼を守るバリアとなった。炎は風のバリアに当たって消え、大輔は無事だった。
しかし、訓練場は静まり返った。魔法の存在を知らない一般人が、魔法を目撃してしまったのだ。
「これは…魔法?」大輔は呆然と言った。「陽太、お前…魔法使いなのか?」
陽太は言葉を失った。長年隠してきた秘密が、こんな形で明らかになるとは。
「大変なことになったな」翔が冷静に言った。「魔法協会に報告しなければならない」
「待って!」陽太は必死に叫んだ。「大輔は俺の親友だ。彼は絶対に秘密を守ってくれる」
「そうだよ!」大輔も前に出た。「俺、陽太のことなら何でも信じるし、秘密も守る!」
結衣は心配そうに陽太を見た。「でも協会のルールじゃ、一般人に魔法が露見したら…」
「記憶を消すか、魔法使いの資格を剥奪するか…」美咲が小さな声で言った。
陽太は絶望的な気持ちになった。親友の記憶を消すか、自分の魔法を失うか。どちらも選べない選択肢だった。
「俺には考えがある」
突然、翔が前に出た。彼の表情は厳しいままだったが、目には決意が宿っていた。
「一般人と魔法使いの共存。それが新しい時代の形かもしれない」翔は言った。「協会に特例を申請しよう。中村が秘密を守れることを証明できれば、記憶を消さずに済むかもしれない」
「翔先輩…」陽太は驚いた。いつも厳格な翔がこんな提案をするとは。
「私も協力します!」美咲が前に出た。「中村先輩の誠実さを、私の感情感知魔法で証明できます」
「よーし、決まりね!」結衣が拳を上げた。「私たちで大輔くんを守ろう!」
大輔は混乱しながらも、嬉しそうに笑った。「ありがとう、みんな。俺、絶対に秘密守るから」
陽太は友人たちの支えに、胸が熱くなった。しかし、これからの道のりが簡単ではないことも理解していた。
「協会は簡単には認めないだろう」翔は腕を組んだ。「彼らは何か試練を課してくるはずだ」
「どんな試練でも、みんなで乗り越えよう」陽太は珍しく強い口調で言った。
その瞬間、陽太の周りの風が少し強く吹いた。彼自身も気づかないうちに、魔法が彼の決意に反応していたのだ。
「おお、陽太くんの風、強くなった!」結衣が目を輝かせた。
「自分を信じることが、魔法の力を引き出す第一歩だ」翔はわずかに微笑んだ。
陽太は自分の手を見つめた。風の魔法。派手さはないが、繊細で、人を守ることができる力。彼はようやく、その価値を少しだけ理解し始めていた。
「よし、明日から協会との交渉だ」翔が言った。「準備をしておけ」
陽太は大輔を見て、微笑んだ。「ごめんな、こんな秘密を隠してて」
「いいんだよ」大輔は肩を叩いた。「むしろ、親友が魔法使いって、超クールじゃん!」
訓練場に笑い声が響いた。しかし陽太の心の中には、これからの試練への不安と、新たな決意が入り混じっていた。
風の魔法使い・佐藤陽太の、本当の挑戦はここから始まる。
(続く)
コメント機能は現在開発中です。