「これが私たちの考える水循環システムの設計図です」
王立魔法学院の一室で、佐藤健太郎は手作りの図面を広げた。机を囲んでいたのは、リーナ・ファイアハート、エリザベス・ウィンドブルーム、そして今日初めて会うことになった王国一の職人ギルドマスター、トーマス・クラフトハンドだ。
トーマスは分厚い眉の下から鋭い目で図面を見つめ、無骨な指で細部をなぞった。彼の腕には長年の鍛錬で得た筋肉が盛り上がり、手には無数の小さな傷跡が刻まれていた。
「ふむ、魔法の水流制御と物理的な水路構造を組み合わせるというわけか」トーマスの声は低く、しかし部屋中に響き渡った。「面白い発想だ。だが、この接合部分の強度は保てるのか?」
健太郎は内心でほっとした。前世でのプロジェクトでは、エンジニアが何か提案すると、クライアントはろくに中身も見ずに「もっと華やかに」とか「もっとシンプルに」などと言い出すのが常だった。しかしトーマスは一目で設計の核心を理解し、実用面での懸念点を指摘してきた。
「その点が最大の課題です」健太郎は率直に答えた。「魔法の水流制御と物理的な構造物の接合には、特殊な素材と技術が必要になります。それを開発できる職人を探していたところです」
トーマスは髭をさすりながら考え込んだ。「私のギルドには、鉄と石の魔法融合を研究している者がいる。だが、こんな大規模なシステムは前例がない」
「前例がないからこそ、価値があるんじゃないですか?」
リーナが明るい声で割り込んだ。彼女の赤い髪が情熱的に揺れる。
「トーマス様、これが成功すれば、王国の水不足問題が解決するんです!私の故郷の村も、毎年干ばつに苦しんでいて…」リーナの声に一瞬感情が滲んだ。「健太郎さんの計算によれば、水の利用効率が3倍になるんですよ!」
エリザベスは冷静に補足した。「理論上は可能です。私たちは小規模な実験で原理を確認しました。問題は、これを王国規模に拡大できるかどうか」
彼女の青い瞳には、専門家としての自信と、新たな挑戦への期待が混ざり合っていた。しかし、その奥には何か別の感情も垣間見えた。
トーマスは黙って図面を見つめ続けた。健太郎は彼の表情から何かを読み取ろうとしたが、長年の交渉で鍛えられた職人の顔は何も語らなかった。
「面白い」トーマスはついに口を開いた。「30年以上、王国の職人として働いてきたが、こんな発想は見たことがない。魔法使いたちは常に私たちの技術を軽視してきた。だが、お前は違うようだな」
健太郎は首を横に振った。「僕は…この世界の人間ではないので、既存の常識に縛られていないだけです。前の世界では、技術と知識の融合が当たり前でした。魔法も技術も、結局は問題を解決するための道具です」
「前の世界?」トーマスは眉を上げた。
リーナが慌てて割り込む。「あ、それは健太郎さんの言い方なんです!彼、ちょっと変わった表現をするんですよ!」
健太郎は苦笑いした。異世界転生の話は、まだ広める時期ではなかった。彼は人間関係を築くのが得意ではなく、つい専門用語や前世の話を持ち出してしまう癖があった。
「とにかく」健太郎は話題を戻した。「このプロジェクトには、魔法使いだけでなく、優れた職人の技術が不可欠です。トーマスさんのギルドと協力できれば…」
「やろう」トーマスは決断を下した。「私のギルドの最高の職人たちを集める。この挑戦に値する」
健太郎の顔に笑みが広がった。「ありがとうございます!」
「だが」トーマスは厳しい表情で続けた。「一つ条件がある。このプロジェクトが成功した暁には、魔法使いと職人が対等なパートナーとして認められること。これまで魔法議会は常に私たちを下に見てきた。それを変える時だ」
健太郎は迷わず頷いた。「当然です。このプロジェクトは、魔法と技術の融合です。どちらが欠けても成功しません」
トーマスの厳しい表情がわずかに緩んだ。「では、契約成立だ」
彼らが握手を交わした瞬間、部屋のドアが開いた。
「失礼」
ドミニク・ハイタワーが、完璧に整えられた黒髪と口ひげを揺らしながら入ってきた。彼の背後には二人の魔法議会のメンバーが控えていた。
「ドミニク卿」エリザベスが冷静に応じた。「水源再生プロジェクトの技術的な打ち合わせです」
「職人ギルドマスターまで交えて?」ドミニクは眉を上げた。「興味深い。魔法議会には報告がなかったが」
トーマスの顔が緊張したが、健太郎が一歩前に出た。
「ドミニク卿、このプロジェクトは魔法だけでは成功しません。職人の技術と魔法の融合こそが、水不足問題を解決する鍵なのです」
「ほう」ドミニクは健太郎を見つめた。「佐藤健太郎、王立魔法学院の特別研究員だったな。君の理論は興味深いが、実用性については疑問がある」
健太郎は内心で舌打ちしたが、表情は変えなかった。ブラック企業時代、理不尽なクライアントへの対応で鍛えられた忍耐力が役立っている。
「私は単に、技術的な観点から最適な解決策を提案しているだけです」
「最適?」ドミニクは静かに言った。「我々の祖先が何世代にもわたって築き上げてきた魔法体系には、それなりの理由がある。急激な変化は、予期せぬ結果を招くことがある」
彼の声には、単なる反発ではなく、経験に基づいた懸念が含まれていた。
「過去にも、魔法体系の急激な変革を試みた例があった。結果は災厄だった。水源は王国の生命線だ。実験的手法で失敗すれば、多くの命が危険にさらされる」
リーナが前に出た。「でも、現状のままでは、私の故郷のような辺境の村々は水不足で苦しんでいます!何も変えなければ、状況は悪化するばかりです」
彼女の声には、家族や故郷を思う切実さがあった。
「若い魔法使いの情熱は理解できる」ドミニクは穏やかに言った。「だが、政策決定には冷静な判断が必要だ。魔法教育の改革も同様だ。リーナ・ファイアハート、君の家系は代々火の魔法を極めてきた。なぜ水の研究に関わっている?」
「それは…」リーナは一瞬言葉に詰まった。「魔法教育も変わるべきだと思うからです。私は火の魔法が苦手で…でも、健太郎さんの教え方で、私も魔法が使えるようになりました!」
エリザベスが冷静に割り込んだ。「ドミニク卿、このプロジェクトはマーカス学院長の承認を得ています。正式な手続きを経ています」
彼女の青い瞳は、表面上の冷静さとは裏腹に、内心の緊張を隠していた。
「そうだ」トーマスも加わった。「そして職人ギルドも全面的に協力することを決めた。魔法議会だけがこれを止めることはできないはずだ」
ドミニクは深く考え込むような表情を見せた。「学院長の承認があるとはいえ、王国の水源管理に関わる重大事項だ。魔法議会での正式な審議が必要だろう」
彼は健太郎に向き直った。「明日、評議会で君の提案を説明してもらおう。全議員の前でね。私も反対ではない。ただ、慎重に進めるべきだと考えているだけだ」
そう言い残すと、ドミニクは礼儀正しく頭を下げて部屋を出て行った。
部屋に重苦しい沈黙が流れた。
「最悪だ」健太郎はため息をついた。「明日までに評議会向けのプレゼン資料を作らないと」
「評議会は13人の高位魔法使いで構成されている」エリザベスが説明した。「その多くがドミニク卿のような慎重派だ。彼らは伝統を重んじる」
彼女は窓辺に歩み寄り、遠くを見つめた。「でも、ドミニク卿の懸念にも一理ある。私も最初は懐疑的だった。魔法の急激な変革は、過去に多くの悲劇を生んできた」
健太郎は彼女の横顔を見つめた。エリザベスの表情には、通常の冷静さの下に隠された複雑な感情が垣間見えた。
トーマスが拳を机に叩きつけた。「だが、変化を恐れていては何も進まない!水不足は年々深刻化している」
健太郎は頭を抱えた。「前世でも同じだったな…ステークホルダー管理が一番の難関だった」
「ステーク…何?」リーナが首を傾げた。
「ステークホルダー。プロジェクトに利害関係を持つ人々のことだ」健太郎は説明した。「技術的な問題より、人間関係の方が解決が難しいんだ」
彼は不器用に笑った。「僕は…人と話すのが得意じゃない。前世でも、技術者として優秀でも、クライアントとのコミュニケーションで苦労した」
リーナは健太郎の腕を軽く叩いた。「でも、健太郎さんは私に魔法を教えてくれました!私、家族のために魔法使いになりたかったのに、火の魔法が全然使えなくて…でも、健太郎さんのおかげで、私も立派な魔法使いになれる!」
彼女の目には、純粋な感謝の光が宿っていた。
「でも、私たちには実証データがあります」エリザベスが言った。「小規模実験の結果は明らかです」
彼女は一瞬ためらった後、続けた。「私は…データと論理を信じています。感情に流されず、冷静に判断することが私の強みです。でも、このプロジェクトには…それ以上の何かを感じています」
健太郎は苦笑した。「データだけでは人は動かない。特に既得権益を持つ人々はね。でも、ドミニク卿の懸念も理解できる。彼は単に変化を恐れているわけじゃない。責任ある立場として、リスクを考慮しているんだ」
彼は立ち上がり、窓の外を見た。王都の景色が広がっている。どこか遠くで、水を求める人々の姿が見えるようだった。
「よし」健太郎は決意を固めた。「明日の評議会に向けて準備しよう。トーマスさん、職人の視点からの意見も必要です」
トーマスは頷いた。「任せろ。私のギルドの者たちも証言させよう」
「リーナ」健太郎は弟子に向き直った。「君には魔法理論の説明を手伝ってほしい。君の故郷の状況も、評議会に伝えるべきだ」
リーナは目を輝かせた。「はい、先生!私の村の人たちのためにも、頑張ります!」
「エリザベス」健太郎は彼女の青い瞳をまっすぐ見た。「水源データの分析結果をまとめてもらえますか?」
エリザベスは微笑んだ。「もちろん」彼女は一瞬ためらった後、静かに付け加えた。「私は…このプロジェクトを通じて、データだけでなく、人々の生活を見るようになりました。それは…新鮮な経験です」
彼らは夜遅くまで準備を続けた。資料を作り、説明の練習をし、予想される反論への対策を練った。
翌日、魔法評議会の大広間。13人の高位魔法使いが半円形に並ぶ席に着いていた。中央にはドミニク・ハイタワーの姿がある。
健太郎たちは広間の中央に立っていた。健太郎の手には、前夜に徹夜で作った資料が握られている。
「では、水源再生プロジェクトの審議を始める」議長が宣言した。「佐藤健太郎、君の提案を聞こう」
健太郎は一歩前に出た。緊張で喉が乾いたが、ブラック企業時代の無理難題プレゼンの経験が役立った。
「尊敬する評議会の皆様」健太郎は声を張り上げた。「私たちは今、王国の未来を左右する岐路に立っています」
彼は魔法で投影された図表を指し示した。「現在の水源管理システムでは、水の70%が無駄になっています。私たちのプロジェクトは、魔法と職人技術の融合により、この問題を解決します」
ドミニクが立ち上がった。「佐藤健太郎、君の理論は興味深い。だが、私には三つの懸念がある」
彼は指を一本立てた。「第一に、安全性だ。魔法と物理的構造物の融合は、予期せぬ魔力の干渉を引き起こす可能性がある。第二に、持続可能性だ。この新システムは、長期的に安定して機能するのか?第三に、社会的影響だ。水の流れを変えれば、農業や産業の構造も変わる。それに対する準備はあるのか?」
健太郎は驚いた。ドミニクの質問は、単なる反対ではなく、プロジェクトマネジメントの本質を突いていた。
「ドミニク卿、鋭い指摘をありがとうございます」健太郎は率直に答えた。「安全性については、小規模実験で検証済みです。しかし、規模拡大に伴うリスクは確かに存在します。だからこそ、段階的な導入を提案しています」
彼は続けた。「持続可能性については、職人ギルドと共同で、メンテナンス体制を構築します。社会的影響については…正直なところ、完全な予測は困難です。しかし、現状の水不足よりは改善されるはずです」
リーナが前に出て、実験結果を説明した。彼女の情熱的な語り口は、いくつかの評議員の表情を和らげた。そして、彼女は自分の故郷の村の苦境について語った。
「毎年、干ばつの季節になると、私の村では子どもたちが水汲みのために学校を休まなければなりません。私の妹も…」彼女の声が少し震えた。「だから私は、魔法を学んで村を助けたいと思ったんです」
エリザベスがデータを示し、トーマスが技術的な実現可能性を語った。
ドミニクは考え込むように髭をなでた。「理論は理解した。だが、王国の水源という重要なインフラを、未検証の技術に委ねるのは依然として懸念が残る」
「では、段階的に導入してはどうでしょう」健太郎は提案した。「まず一つの地区で実証実験を行い、結果を評価した上で拡大する。ドミニク卿のご懸念は正当なものです。だからこそ、慎重に、しかし確実に進めるべきだと思います」
「それでも、伝統的な魔法体系を変えることになる」別の評議員が懸念を示した。
健太郎は深呼吸した。ここが正念場だ。
「尊敬する評議員の皆様」彼は静かに、しかし力強く語り始めた。「伝統を尊重することは大切です。しかし、伝統の本質とは何でしょうか?それは先人の知恵を受け継ぎ、より良い未来を築くことではないでしょうか」
広間が静まり返った。
「私たちは伝統を否定しているのではありません。伝統の上に、新たな知恵を積み重ねようとしているのです。先人たちも、きっと同じことをしてきたはずです」
マーカス学院長が立ち上がった。「私は佐藤健太郎の提案を支持する。彼の方法は、すでに学院内で成果を上げている」
トーマスも続いた。「職人ギルドも全面的に協力する。これは魔法使いと職人の新たな協力の形だ」
ドミニクはしばらく沈黙した後、ゆっくりと立ち上がった。「私は依然として懸念を持っている。しかし…」彼は一瞬ためらった。「小規模な実証実験であれば、リスクも限定的だろう。厳格な監視体制を条件に、実験的導入を認めてもよい」
健太郎は驚いた。ドミニクが完全に反対するものと思っていたからだ。
議論は続き、最終的に評議会は投票に入った。結果は9対4。実証実験の実施が承認された。
ドミニクは健太郎に近づいた。「佐藤健太郎、君の情熱は認める。だが、忘れるな。水源は王国の生命線だ。失敗は許されない」
彼の目には、警戒心と同時に、かすかな期待も宿っていた。
「一ヶ月後に進捗報告を求める」彼は付け加えた。「そして…もし成功すれば、他の地域への展開も検討しよう」
評議会が散会した後、健太郎たちは学院の中庭に集まった。
「やりました!」リーナは飛び跳ねた。「私たち、勝ったんです!これで村の人たちも…」彼女の目に涙が光った。
「まだ始まったばかりだ」健太郎は冷静に言った。「実証実験を成功させなければならない」
「成功させましょう」エリザベスは自信に満ちた声で言った。「私たちには、それだけの力がある」
彼女は珍しく感情を表に出して続けた。「私は…いつも冷静でいるべきだと思ってきました。感情に流されず、データと論理で判断することが、魔法研究者としての正しい姿だと。でも、このプロジェクトを通じて、情熱も大切だと気づきました」
健太郎は彼女の言葉に驚いた。エリザベスがこんな風に心を開くのは珍しかった。
トーマスは健太郎の肩を叩いた。「お前は面白い男だ。魔法使いでありながら、職人の価値を理解している」
健太郎は微笑んだ。「僕は魔法使いじゃない。ただのシステムアーキテクトだ」
「システム…何?」トーマスは首を傾げた。
「いつか説明します」健太郎は笑った。「とにかく、これからが本番です。プロジェクト管理の基本に従って、計画的に進めましょう」
彼らは円陣を組み、手を重ね合わせた。
「水源再生プロジェクトチーム、正式始動です」健太郎が宣言した。
その瞬間、彼らの間に特別な絆が生まれたことを、全員が感じていた。
健太郎はドミニクの最後の言葉を思い出した。彼は単なる反対者ではなく、責任ある立場から慎重な姿勢を示していたのだ。そして、成功すれば協力する可能性も示唆していた。
「次は何をするんですか?」リーナが尋ねた。彼女の目には、故郷の村を救いたいという決意が輝いていた。
健太郎は空を見上げた。「次は…もっと大きなプロジェクトの準備だ。水不足が解決したら、この王国には他にも課題がある。物流システム、防衛システム…」
「一つずつ解決していきましょう」エリザベスが静かに言った。彼女の手が、さりげなく健太郎の手に触れた。
健太郎は少し驚いたが、その温もりは心地よかった。彼は人間関係が苦手だったが、この世界では少しずつ変わりつつあった。
「そうだな」彼は頷いた。「一つずつ、確実に」
夕日が彼らの姿を赤く染める中、水源再生プロジェクトチームは新たな一歩を踏み出した。
技術的な課題、社会的な影響、そして未知の困難が待ち受けているだろう。しかし健太郎は、ブラック企業で培った「どんな理不尽にも対応する力」と「諦めない精神力」で、それらに立ち向かう覚悟を決めていた。
そして何より、今は一人ではない。信頼できる仲間たちがいる。
「前世より、ずっといいチームだな」健太郎はつぶやいた。
「何か言いました?」リーナが尋ねた。
「いや、何でもない」健太郎は微笑んだ。「さあ、明日からの実証実験の準備をしよう」
彼らは学院へと歩き始めた。新たな挑戦への第一歩を踏み出したのだ。
(つづく)
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