凍結する日常 〜止まった世界で進む未来〜

別舞台

ハリネズミです2025/08/09

登場キャラクター

夕暮れの街角で、霧島零は古い新聞記事をスマートフォンで読み返していた。五年前の見出しが画面に浮かび上がる。

『謎の時間停止現象、住宅街の一角で発生』 『専門家も困惑、原因不明の異常事態』 『政府、詳細な調査を約束』

零の金色の瞳が記事の文字を追う。当時、町の一角で約三時間にわたって時間が完全に停止した。鳥は空中で静止し、落下する雨粒は宙に浮いたまま動かなくなった。現象が解除された後、現場には何の痕跡も残されていなかった。

「原子を止める能力、か」

零は呟きながら、裸足のスリッパで地面を軽く蹴った。黒いネイルが施された指先で画面をスクロールする。政府は「気象異常」として処理したが、零には確信があった。これは間違いなく能力者の仕業だ。そして、その能力者こそが——

「氷室二郷」

名前を口にすると、零の唇に薄い笑みが浮かんだ。 イラスト2


一方、特殊能力管理局の地下施設では、幻神翼が同じ資料に目を通していた。

「五年前の時間停止事件、やはり氷室二郷の能力と一致しますね」

翼の上司である中年の男性が資料を机に置く。

「ああ。当時は中学生だった彼が、能力の暴走を起こした可能性が高い。問題は、この情報を『解放』も掴んでいることだ」

イラスト22

翼の赤い瞳が鋭く光る。

「霧島零の動きが活発になっています。氷室への接触頻度も増している」

「監視を続けろ。だが、まだ直接的な介入は控えるんだ。氷室二郷は犯罪を犯していない。我々はあくまで観察者に徹する」

翼は無言で頷いたが、内心では複雑な感情が渦巻いていた。


翌日の放課後、二郷はいつものようにコンビニでアルバイトをしていた。レジでの作業に集中していると、店の入り口のベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

振り返ると、零が店内に入ってきた。いつもの黒と赤を基調とした服装で、裸足にスリッパという独特のスタイルは変わらない。

「あら、二郷くん。今日もお疲れさま」

零は軽やかに手を振りながら、雑誌コーナーへ向かう。二郷は小さく会釈を返した。

「零さん、今日は何か買い物ですか?」

「うーん、そうね。あ、そうそう」

零は振り返ると、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。

「今度の休日、時間ある?面白い場所を知ってるの。一緒に行かない?」

二郷は一瞬戸惑った。零との関係は読書仲間程度だと思っていたが、最近彼女からの誘いが増えている。

「面白い場所、ですか?」

「そう。この町の歴史を感じられる、特別な場所よ」

零の金色の瞳が意味深に光る。二郷は何か引っかかるものを感じたが、断る理由も見つからなかった。

「分かりました。時間があれば」

「やった!じゃあ、詳細は後で連絡するわね」

零は満足そうに微笑むと、雑誌を一冊手に取ってレジに向かった。


その夜、二郷がアルバイトを終えて店を出ると、近くのカフェから翼が現れた。

「お疲れさま、氷室くん」

「翼さん、お疲れさまです」

二人は並んで歩き始める。夜の街は静かで、街灯が二人の影を長く伸ばしていた。

「最近、あの女性とよく話しているようだね」

翼の言葉に、二郷は少し驚く。

「零さんのことですか?読書の話をするくらいですが」

「そうか」

翼は表情を変えずに答えたが、内心では警戒を強めていた。霧島零の二郷への接近は明らかに意図的だ。

「翼さんは、彼女のことを知っているんですか?」

二郷の質問に、翼は一瞬考える素振りを見せた。

「いや、特に。ただ、君が誰かと親しくなるのは良いことだと思う。受験勉強ばかりでは息が詰まるだろう」

「そうですね」

二郷は素直に頷いたが、翼の表情に何か隠されたものを感じ取った。


週末の午後、二郷は零と待ち合わせ場所で会った。零は相変わらずの格好で、今日は特に機嫌が良さそうだった。

「二郷くん、来てくれてありがとう!」

「こちらこそ。それで、どこに行くんですか?」

零は振り返ると、意味深な笑みを浮かべた。

「町の北側にある住宅街よ。五年前に面白いことが起きた場所なの」

二郷の表情が一瞬強張る。五年前——それは彼の能力が初めて大規模に暴走した時期だった。

「五年前、ですか?」

「そう。時間が止まったって話、知ってる?」

零の言葉に、二郷の心臓が激しく鼓動する。彼女は知っているのか?自分の能力のことを?

「少し、聞いたことがあります」

「面白いでしょう?能力者の仕業だって噂もあるのよ」

零は歩きながら、さりげなく二郷の反応を観察していた。彼の表情の変化を見逃さない。

二人が住宅街に到着すると、零は特定の角地で立ち止まった。

「ここよ。五年前、この一帯で時間が完全に停止したの」

イラスト3

二郷は周囲を見回す。確かにここは、あの日彼の能力が暴走した場所だった。友人たちとの些細な喧嘩がきっかけで、感情が爆発し、気がつくと周囲の時間が止まっていた。

「すごい能力よね」零が続ける。「原子の動きを止めるなんて、神様みたいじゃない?」

「原子を、止める?」

二郷は驚きを隠せなかった。零の知識は一般人のそれを明らかに超えている。

「あら、詳しくないの?時間を止めるっていうのは、実際には原子や分子の運動を停止させることなのよ。物理学的に考えれば、とても理にかなってる」

零の説明に、二郷は戦慄を覚えた。彼女は確実に自分の能力について知っている。

「零さんは、どうしてそんなに詳しいんですか?」

「私?私は能力者に興味があるの」

零は振り返ると、今度は真剣な表情を見せた。

「二郷くん、あなたはどう思う?能力者は隠れて生きるべきだと思う?」

突然の質問に、二郷は言葉に詰まる。

「それは、その人次第じゃないでしょうか」

「でも、隠れることで本当の自分を殺してしまうとしたら?」

零の金色の瞳が二郷を見つめる。その視線には、深い理解と共感が込められていた。

「能力者だって、堂々と生きる権利があるはずよ。むしろ、その能力を活かして社会を良くすることだってできる」

二郷は零の言葉に心を揺さぶられた。確かに、彼女の言う通りかもしれない。なぜ自分は隠れて生きなければならないのか?

「でも、社会は能力者を受け入れてくれるでしょうか?」

「それは、私たちが変えていくのよ」

零の声に力がこもる。

「二郷くん、あなたのような人こそ、その先頭に立つべきだと思うの」


その時、背後から声がかかった。

「あら、こんなところで偶然ですね」

二人が振り返ると、翼が現れた。彼は普段の黒いジャケット姿で、表情は穏やかだったが、その赤い瞳には鋭い光が宿っていた。

「翼さん!」

二郷は驚きの声を上げる。

「散歩の途中で、君たちを見かけたんだ」

翼の視線が零に向けられる。零も翼を見つめ返し、二人の間に緊張が走った。

「こちらは?」翼が尋ねる。

「あ、えっと、零さんです。読書仲間で」

二郷が慌てて紹介すると、零は人懐っこい笑顔を浮かべた。

「霧島零です。二郷くんとは最近お友達になったの」

「幻神翼です」

翼は軽く会釈したが、その表情には警戒心が滲んでいた。

「それにしても、珍しい場所ですね」翼が周囲を見回す。「ここは五年前の時間停止事件の現場でしたっけ?」

零の表情が一瞬強張る。

「あら、詳しいのね」

「大学で物理学を専攻していますから。あの現象には興味があるんです」

翼の言葉に嘘はなかったが、真の目的は隠されていた。

「物理学!素敵ね」零が手を叩く。「じゃあ、あの現象についてどう思う?」

「理論的には不可能ですが」翼は慎重に言葉を選ぶ。「もし実際に起きたとすれば、相当な力を持つ存在が関与していたでしょうね」

「存在?」

「ええ。人間を超えた、何か特別な存在が」

翼の言葉に、零の瞳が危険に光る。二郷は二人の会話についていけずにいたが、何か重要なやり取りが行われていることは理解していた。

「特別な存在、か」零が呟く。「でも、それが人間だったとしたら?」

「人間が?」翼は眉を上げる。「それは興味深い仮説ですね。でも、そんな力を持つ人間がいるとすれば、きっと大変な苦労をしているでしょう」

「苦労?」

「ええ。そんな力を持っていたら、きっと周囲から理解されずに孤独を感じているはずです。可哀想に」

翼の言葉には、微妙な皮肉が込められていた。零はその意図を察し、唇の端を上げる。

「でも、その人が自分の力を受け入れて、堂々と生きることができたら素敵じゃない?」

「それは理想論ですね」翼は冷静に答える。「現実は、そう甘くありません。力を持つ者には、それに見合った責任が伴います」

「責任?誰が決めるの、その責任を?」

零の声に挑戦的な響きが混じる。

「社会です」翼は即座に答える。「私たちは社会の一員として生きている以上、その秩序を守る義務があります」

「秩序ね」零は小さく笑う。「でも、その秩序が間違っていたら?」

「間違いかどうかを判断するのは、個人ではありません」

二人の会話は次第に激しさを増していく。二郷は困惑しながら二人を見つめていたが、この状況を何とかしなければと思った。 イラスト1 「あの、そろそろ時間が」

二郷の声で、二人は我に返る。零と翼は同時に表情を和らげ、先ほどまでの緊張感を隠した。

「あら、もうこんな時間!」零が時計を見る。「楽しい時間をありがとう、二郷くん」

「こちらこそ」

「翼さんも、お会いできて良かったです」零は翼に向かって微笑む。「今度、ゆっくりお話ししましょう」

「ええ、機会があれば」

翼も表面的には友好的に応じたが、その瞳の奥には警戒心が残っていた。

零が去った後、翼と二郷は並んで歩いた。

「面白い人だね」翼が口を開く。

「そうですね。とても頭の良い人だと思います」

「ああ、確かに」翼は頷く。「でも、氷室くん」

「はい?」

「時には、頭の良い人ほど危険な場合もある。気をつけた方がいい」

翼の言葉に、二郷は不安を覚えた。零に対する翼の反応は明らかに普通ではなかった。

「翼さんは、零さんを知っているんですか?」

「いや」翼は首を振る。「ただ、直感だよ。君のような真面目な人間は、時として利用されやすい」

二郷は翼の言葉を心に留めた。確かに、零の言動には何か隠された意図があるように感じられた。


その夜、零は自分のアジトで電話をかけていた。

「ええ、間違いないわ。氷室二郷が五年前の時間停止事件の犯人よ」

電話の向こうから男性の声が聞こえる。

「それで、勧誘の進捗は?」

「順調よ。でも、一つ問題があるの」

零は窓の外を見つめながら続ける。

「特殊能力管理局のエージェントが彼を監視してる。幻神翼って男よ」

「幻神翼?」

「ええ。今日、少し接触したけど、なかなか手強そうね」

零の唇に危険な笑みが浮かぶ。

「でも、それも面白いじゃない。ゲームが始まったのよ」


一方、翼も管理局に報告を入れていた。

「霧島零と直接接触しました。彼女は確実に氷室二郷を狙っています」

「分かった。引き続き監視を続けろ。だが、まだ動くな」

「了解しました」

翼は電話を切ると、窓の外の夜空を見上げた。

「霧島零、か」

彼の脳裏に、零の金色の瞳が浮かんだ。あの女性は確実に危険だ。そして、氷室二郷はその危険に気づいていない。

翼は拳を握りしめた。養父を殺した能力者への復讐心と、二郷を守りたいという気持ちが複雑に絡み合っていた。


翌日の学校で、二郷は昨日の出来事を思い返していた。零の言葉、翼の警告、そして二人の間に流れた緊張感。

「二郷くん、大丈夫?」

隣の席の佐倉美咲が心配そうに声をかける。

「あ、美咲さん。大丈夫です」

「なんだか、考え事してるみたいだったから」

美咲の優しい声に、二郷は少し心が軽くなった。彼女は自分の能力を知っても受け入れてくれた、貴重な存在だった。

「美咲さん、もし誰かから『隠れずに堂々と生きろ』って言われたら、どう思いますか?」

「急にどうしたの?」美咲は首をかしげる。「でも、それは状況によるんじゃない?堂々と生きることで、大切な人を傷つけてしまうこともあるし」

「大切な人を、傷つける?」

「うん。例えば、二郷くんの場合」美咲は声を小さくする。「能力のことを公にしたら、お母さんも巻き込まれちゃうかもしれないでしょ?」

二郷はハッとした。確かに、自分が能力者だと知られれば、母親にも影響が及ぶ可能性がある。

「そうですね」

「でも」美咲は続ける。「いつか、堂々と生きられる日が来るといいね」

美咲の言葉に、二郷は複雑な気持ちになった。零の主張と美咲の考え、どちらも一理ある。しかし、現実はそう簡単ではない。

放課後、二郷がコンビニに向かう途中で、零からメッセージが届いた。

『今度、私の仲間たちを紹介したいの。きっと二郷くんと気が合うと思う』

二郷は立ち止まった。零の「仲間」とは何者なのか?そして、なぜ自分を紹介したがるのか?

翼の警告が頭をよぎる。しかし、零の言葉にも魅力を感じている自分がいた。

二郷は空を見上げた。夕日が雲の間から差し込み、街を橙色に染めている。

「普通の生活」と「堂々とした生活」。二つの選択肢の間で、二郷の心は揺れ続けていた。

そして、彼はまだ知らなかった。自分を巡って、二つの組織が静かな戦いを始めていることを。

夜が深まる中、町のどこかで霧島零が微笑み、幻神翼が警戒の目を光らせていた。

氷室二郷の運命を賭けた、見えない戦いが始まろうとしていた。

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